祭り最大の見所は、坂を一気に駆け下りた5輌の山車が水際で方向を変え、縦に整列する場面。精緻な彫刻や豪華な幕で飾られた山車が、吹き流しをはためかせながら波打ち際を進む様子は、まるで海辺に華が咲いたようです。祭りを飾る5輌の山車についてご紹介いたします。
東組 宮本車
5輌の山車の一番車で、「宮本」車として神社との深い繋がりを持った山車です。装飾は、古事記を題材として神々や日本国の誕生等を表現しています。瀬川治助作の精緻な壇箱彫刻の上にある昇龍降龍の堆朱四本柱は大変貴重なもので、三人の子供が隠れ使いで元気に演じる三番叟とともに必見です。応仁・文明の頃(15世紀後半)に始まったとも伝えられる潮干祭の山車の元祖でもあります。
建造 | 元治2年(1865年) |
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代表彫刻 | 「鵺退治」「龍に虎」瀬川治助重光 |
その他装飾 | 堆朱に昇竜、降龍の彫刻を施した前棚四本柱 |
大幕 | 猩々緋に宝珠の金刺繍 |
水引幕 | 白地に七五三縄の刺繍 |
追幕 | 猩々緋に七曜星の刺繍 |
前棚人形 | 「三番叟」日下浄雲 |
上山人形 | 「湯取り神事」荒川宗太郎 |
石橋組 青龍車
一際目を引く紺羅紗地の大幕と七宝の前棚四本柱が特徴の青龍車は、神仙思想の「四神」(青龍・朱雀)や道教の「五嶽真形図」等で装飾された霊験あらたかな神秘的な山車です。帝室技芸員竹内久一作の壇箱彫刻と川口文左衛門作の七宝四本柱は山車装飾としては唯一のものとして大変貴重です。唐子が逆立ちする上山からくりは永く途絶えていましたが、昭和48年石橋組の若者によって復元されました。
建造 | 明治24年(1891) |
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代表彫刻 | 「風伯神・雷電神」竹内久一 |
その他装飾 | 七宝焼の前棚四本柱 川口文左衛門 |
大幕 | 波上に勇む青龍の金刺繍 |
水引幕 | 朱雀の縫いつぶし |
追幕 | 緋羅紗地に五嶽真形図の金刺繍 |
前棚人形 | 「布ざらし」竹田源吉 |
上山人形 | 「唐子(逆立ち)遊び」鬼頭二三 |
中切組 力神車
諏訪の名工立川和四郎冨昌の彫刻「力神」の名を冠した力神車は、現在の5輌の山車の中で最も建造が古く知多型山車の元祖といえます。壇箱の「力神」や蟇股の「子持龍」をはじめとする多くの冨昌の傑作で装飾された山車は、それまで金箔・極彩色の塗りが主流だった山車形態を一新させるほどの影響を知多地域に広く与えました。岸駒の下図による見事な虎の刺繍の大幕、有名な浦島のからくりも見どころです。
建造 | 文政9年(1826) |
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代表彫刻 | 「力神」「子持龍」立川和四郎富昌 |
大幕 | 猩々緋に虎の刺繍越前守岸駒下絵 |
水引幕 | 青龍の縫いつぶし 越前守岸駒下絵 |
追幕 | 「翁の面」千秋季雄下絵続日本後紀巻15の和歌 |
前棚人形 | 「猩々(面かぶり)」五代目 玉屋 |
上山人形 | 「浦島(面かぶり)」六代目 玉屋庄兵衛 |
田中組 神楽車
奇才立川常蔵昌敬の精緻な彫刻で埋め尽くされた神楽車は、女性的で佳麗な印象の山車です。特に壇箱彫刻は昌敬の最高傑作であり、「蟇仙人・鉄拐仙人」の柔和な表情と「蘭亭の庭」の人間業と思えないほど繊細な彫りは一際目を引く逸品。また上山からくり「傀儡師」は、江戸時代に一世を風靡した竹田からくりの稀少な残存例として「生きた化石」とも称され、芸能・演劇史研究の貴重な資料となっています。
建造 | 天保8年(1837) |
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代表彫刻 | 「蘭亭の庭」「鉄拐仙人・蟇仙人」立川常蔵昌敬 |
大幕 | 猩々緋に牡丹に唐獅子の刺繍 福田翠光下絵 |
水引幕 | 雲霞と蝶乱舞の縫いつぶし 福田翠光下絵 |
追幕 | 孔雀の刺繍 福田翠光下絵 |
前棚人形 | 巫女の舞 |
上山人形 | 傀儡師(船弁慶) |
西組 花王車
立川和四郎冨昌に宮造り式の彫刻を依頼、その結果格調高い優美な山車として完成したのが花王車です。大幕・水引も山車との調和を保つため図柄を和四郎冨昌に一任、それにより月僊の下図による幕類が作成されました。当時貴重とされるギヤマンを使用した脇障子彫刻や、車座での演奏を表現するため後ろ向きに配置された壇箱の楽人など稀有な彫刻手法は必見です。また上山では唐子が桜の枝を見事に綾渡りします。
建造 | 弘化3年(1846) |
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代表彫刻 | 「太平楽楽人」「葡萄採り」 立川和四郎富昌 |
大幕 | 猩々緋に雅楽楽器の金刺繍 月泉下絵 |
水引幕 | 御簾の金刺繍 月泉下絵 |
追幕 | 後醍醐天皇笠置落図 月泉下絵 |
前棚人形 | 「神官」 五代目玉屋庄兵衛 「石橋」 |
上山人形 | 桜花唐子遊び(綾渡り) |