この企画は、平成30年度にスタートし祭人に潮干祭への想いを語ってもらうコラムです。
祭への関わり方や楽しみ方、そして想いはそれぞれ。その人にとっての潮干祭とは・・・
毎回その年の代参元の組員にスポットをあてています。平成31年度は石橋組のお二人に話を聞きました。
石橋組 顧問 中村 勉さん(82歳)
親もおまつりをやっていたことから、生まれた頃から自然とおまつりに参加していました。太鼓叩きは幼稚園の頃から始め、おまつりになると山車の中で太鼓を叩くことが楽しみだったことを覚えています。また、綱を曳くのも子供ながらに力一杯、朝から晩まで疲れるまで曳いていました。
年行司は伊勢湾台風の1年前。それからすぐに若者頭に上げてもらい20年くらいでしょうか。昔は大人が笛を吹いており、私も朝倉屋の長平さんから笛を習い、少しですが吹いていたりしました。
息子が生まれても、祭礼中は若者頭ですから面倒を見ることがなかなかできなかったのですが、私と同じようにおまつりに携わってくれて、若者頭を経験し、そして2人の孫も。今では1人の孫が年行司を経て若者頭にさせてもらいました。こうして歴史が自然と繋がれていくことを実感し、嬉しく思っています。
私の父親は昭和18年に車元をやって、私は平成18年に車元をやらせてもらった。こうなったら、新元号の18年は…そうなったらそれも一つ受け継がれていく中村家の伝統になっていくのかもしれません。
敬神社や理事をさせてもらい、現在は顧問という役をやっていますが、潮干祭に対する情熱は若い頃と何も変わらず、おまつりが近づくと気持ちがワクワクして元気になってきて、これは一生変わらないでしょう。ただ、体力がついていかない。祭礼中はしっかり歩いてついて行くのはもちろんですが、私が経験してきたことや聞いてきたことを、息子や孫を始め、後世に伝えて行くことがこれからの私の役目なのかと思っています。
石橋組 若者頭 稲生 伸一郎さん(当時35歳)
我が家には、私が1歳の頃に装束と看袢を着て満面の笑みで写っている写真が残っています。正直当時のことは全く覚えていません。両親の家系がどちらも石橋組の元に生まれ、父と両祖父がやっていた影響で、自分にとって潮干祭は物心がついた頃から身近な存在となっていました。
幼児期の楽しみは衣装を身につけ、山車を力一杯曳き、太鼓を叩き、自分が山車を動かしているような気分になっていたことです。中学から笛を習い、お囃子やお神楽を覚え、山車の後梶に腰掛けて吹くことで、自分が山車を動かしているような気分になっていました。高校から梶棒にとまり、実際に自分の力で山車を動かすことを体感しました。22歳で年行司を終え、翌年から現在にかけて若者頭として運営には欠かせない責任のある役割を担っており、山車だけでなく、潮干祭全体を動かすことを覚えました。
そして、現在2歳の息子がいます。祭りの写真や映像を見ると大はしゃぎします。1歳の頃満面の笑みで写っていた写真の自分が父親になり、当時の父の気持ちがわかった気がします。父には息子の祭り姿を見て活力にしてもらい、少しでも長く3人で祭りを続けていきたいですね。
自分は祭り家系で育ちましたが、祭りに縁がない方には敷居が高いと思われがちです。そんなことはありません。興味を持つお子さんがいたら是非お友達同士で参加してみてはいかがでしょうか?そんな方達を我々祭人は大歓迎ですよ!
このコラムは平成31年3月に書かれました。
令和2年度 中切組編
平成30年度 東組編