この企画は、平成30年度にスタートし祭人に潮干祭への想いを語ってもらうコラムです。
祭への関わり方や楽しみ方、そして想いはそれぞれ。その人にとっての潮干祭とは・・・
毎回その年の代参元の組員にスポットをあてています。平成30年度は東組の3人に話を聞きました。
東組 元締 岩本 守彦さん(85歳)
お祭りが大好きだった父ちゃんに連れられて、まだ一歳にならない頃からお車を曳いていた。それから、この歳になるまでお祭りを続けている。やらなかったのは八歳の時、お祭りの日の朝に弟が産まれたその一年だけ。
若い頃は、やるなら前棒。曳き下ろしの時は、よその組にもとまりにいった。昔は、台輪の下までつかるくらいの泥の浜で、みんな泥だらけになって大騒ぎしていたのを覚えている。二十三歳で年行事をやってからは、若者頭を十六年、それから書記を三十年近く続けてきた。車元をやったのは、去年。カナダに住んでいる息子も久しぶりに亀崎に帰ってきた。息子三人、孫も一緒に三世代でお祭りをやれたことが嬉しかった。
要するにお祭りが好き。
事務所の近くに住んでいるから「ドン」と聞こえたら、じっとしていられない。家内にも「太鼓の音がすると家にいない」とよく言われた。今年で八十五歳になるが、体が動くうちは、お車が曳けなくても、一緒について歩いていきたい。
東組 若者 吉川 幸男さん(当時45歳)
私が初めて潮干祭に出会ったのはいまから18年前の平成12年でした。お祭りのことを自慢げに話す、亀崎に育った彼女(現在の妻)に連れられ、軽い気持ちで見に来た私は強く心を打たれました。
名古屋の市街地で育った私にとっては、祭りといえば子供会の行事で、小さな神輿を担いで近所を練り歩くもの。潮干祭の山車の迫力もさることながら、様々な世代の人々が一緒に泣き笑いする光景に驚かされました。
それから数年後、妻が男の子を妊娠したことが分かると、生まれてくる子がお祭り好きになるといいなあという気持ちもあり、この地に住むことにしました。
息子の誕生は私にとってもお祭りを始める絶好のチャンス!縁あって息子が5歳のとき一緒に東組でお世話になることになり、今年で6回目。一番の思い出は初めての年に、まだ一人で綱を曳くのが転びそうで危なっかしい息子を、片手で抱えたまま神前神社の階段を駆け上がったことでしょうか。今では息子の祭り好きも私の想像を遥かに超え、一年中祭り関係の行事に参加して、三番叟も楽しんで演じています。
昨年から四十の手習いで笛を習い始め、息子と並んで、若い先生から指導を受けています。神楽笛の奥深い魅力にも取りつかれ、まだまだあと何十年、お祭りを楽しめそうです。
東組 三番叟 吉川 凪さん(当時9歳)
僕は5年前からお祭りをやっています。最初は、山車をひく勇気もなくて、後ろからついていくだけでした。今では山車をひくことが、とても楽しいです。からくり人形「三番叟」の足もやっています。難しいけれど、成功すると、とてもうれしくてほこらしいです。
僕はお祭りが大好きです。
お祭りの人はみんな優しいし、山車が海に入るのも楽しいです。僕は、これからもずっとお祭りをつづけます。目ざすは、金糸かんばんです。
とにかく僕はお祭りが大好きです。
このコラムは平成30年3月に書かれました。
令和2年度 中切組編
平成31年度 石橋組編